世の中はたぶん性悪説だ。でも、僕は性善説に生きたい。

こんにちは、 小林(@sc_fas_cod)です。

 

実は今このブログは音声で書いているんですけれども、ちょっとしたオピニオンなんかの記事の場合はこうやって音声で書くのもありなのかな?という風に思ったのでテストしてみます。

 

で、ですね。今日はちょっと性善説・性悪説の話についてお話ししてみたいんですけれども。

 

皆さんは性善説と性悪説だったらどっち派ですか?

正直に言うと、本当は僕も性善説であってほしいなという風に思っている立場です。

 

けれどもぶっちゃけ、実際はというと世の中は性悪説なんじゃないかなという風に思っています。

 

というのも、こう考えるようになった理由は政治ですね。

 

政治ってあれだけたくさんの頭のいい人たちが集まっているにもかかわらず、結局権力だったりお金だったりそういうしがらみによってなかなか思うように進むことができない。

 

これって本当に数百年・数千年前からずっと変わってないですよね。

 

あれだけたくさんの頭脳の持ち主が集まっているのに。国を変えたいっていう意志の持ち主たちが集まっているのに、最近でも北朝鮮のミサイル問題とかありますよね。あるいは国民のために何かするのではなくて、しょうもない権力争いのためにその頭を使う。

 

そして何度も何度も戦争が起こってしまう。

 

これが結局のところ、人間の本質なんじゃないかという風に考えています。

 

性悪説を受け入れたうえで、性善説的に生きたい

でも、ここからが僕の本当に言いたいこと。

 

現実は確かに性悪説的だとは思うんですけれども、 生き方として性悪説的に生きるのは賢い生き方ではないのではないか?という風に考えています。

 

僕は基本的に、人間には必ず二面性があると思っています。もちろんどんな聖人君子であっても悪い面や汚れた一面っていうのは持っていると思っています。

 

けれども大事なのは、その悪い面を持っているということを自分で受け入れた上で、もう一人の自分を心の中に宿すことが大事なのではないでしょうか?

 

例えば、急いでいる時に駅でめっちゃ歩くのが遅い人がいて、邪魔だなと思ったり鬱陶しいなと思ったりどっか行けよとか思ったりしちゃうことってありますよね。

 

でもそれ自体が悪いのではなくて、その時にもう一人の自分が『いやでもそんなこと思っちゃいけないよな』という風に監視している、という状況がを作るのが大事だと思っています。

 

もう一つ例を挙げるなら、例えばめっちゃ仕事ができない人っていますよね。その人を本当に頭悪いよなとか馬鹿だなとか思ってしまうこともあると思うんですよ。僕もあります。

 

で、そう思ってしまって罪悪感を感じたり自己嫌悪に陥る人って結構いると思う。

 

しかし実際そう思ってしまうのは仕方ないことで、大事なのはその時にもう一人の自分が、

 

「いやでも別に人間に上とか下とかないし、たまたまその人がその仕事出来人だけやから仕方ないやん?そんなこと思ったらあかんよね。」

 

という風に考えることが出来る、『もう一人の自分』を持っているかどうか。

 

これが、幸せに生きるための生き方としてすごく重要だと思っていて、

 

だから何が言いたいかと言うと、人間はそもそも多分性悪説的なものに基づいた生き物だとは思うんですよ。

 

でもそうじゃなくて、

 

自分のもう一つの心の中に常に性善説的な考え方を持つ自分を宿しておくことが、幸せに生きる上ですごく大事なことなんじゃないかな?というのが僕の立場です。

 

みなさんはどうでしょうか?

 

さてここまで10分ぐらいで書き上げたんですけれども、音声認識の精度の高さにすごくびっくりしているのと自分の会話が下手くそさにすごくびっくりしています(笑)

 

読んでくれた方は、また読みやすさや感じたことなど意見いただけると嬉しいです。

 

ではまた。